050116.sun. 関西(3)──僕にとって「ガツン!」と来ないワケ
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昨日は鎌倉の近代美術館でやってる「ジャン・プルーヴェ展」見に行こうと思ってました.雪の予報だったし,白い鎌倉も風情あっていいなぁとか思ってたんですが,結局雪は降らずじまい.てなことで,家にこもって,なんで淡路夢舞台は僕にとって「ガツン!」と来なかったのかいろいろ考えてみました.我ながらムダな一日だなぁ…….

原因1.スケールの問題.数年前,建築本かなにかで,デザインのキモは「トータリティとヴァラエティのバランス」というような記述を目にした覚えがあります.なにやらコムズカシイこと書いてますけど実は単純なおハナシで,あんまりにも各部の造形がてんでばらばらだと全体の一体感が出ない,その一方で統一感ばかり意識しすぎると単調になってしまうということです.言い換えればコントロールし過ぎずコントロールするということ.住宅など小さい建築ならばそんなに難しいことではないのですが,メッセや空港のような巨大建築になると,これがけっこう難しい.

この淡路夢舞台,そういう観点から見るとちょっと単調なんですよ.いささかデザイン・コントロール過剰の感があり.安藤さんもそのことに気付いていたのか,一部無理にヴァラエティを持たせようとしたかのような部分も見受けられます.ただ,同じような印象は槙さんの幕張メッセでも感じたことですから,一人の設計者が巨大建築を設計するときに必ずついて回る問題と言うべきなのかも知れません.

原因2.夢舞台がイマイチ魅力的に感じられないもう一つの原因は,じつは安藤さん自身にもあるのではないかとも思っています.語弊があることを承知で書くならば,安藤さんはすでにネタ切れ,丹下健三や菊竹清訓のように過去の人になってしまったのではないかと…….

おおまかに言って建築家という人種は2種類に分けられます(あくまでも僕の説では).新規性はあまりないけれどもオーソドクスな手法で手堅く質の高い建築を生み出していく建築家(槙文彦,谷口吉生など),そして暴力的ともいえる思想をもって革新的な建築を社会に提示していく建築家(かつての丹下健三,伊東豊雄など).前者の場合は年齢を重ねてもコンスタントに良質の建築を生み出してゆく,むしろかつて手掛けた建築より近年の建築のほうが質が高いことも少なくないのですが,後者の場合,常に革新的な価値を提示し続けなければならない,ネタ切れになると質の低下が特に目につくのではないかと,そう考えているわけです.

で,安藤さんは果たしてどっちの部類に入るのか? 1977年,「住吉の長屋」で建築界に大きな衝撃を与えてメジャーデビューを飾った安藤さんは,個人的には後者の部類に入るんではないかと思ってます.しかも絶頂期はすでに超えているような印象.セビリア万博の日本館以降,エポックメイキングな建築を生み出せているのかといえば,かなり微妙なのではないでしょうか? この淡路夢舞台も過去の手法の焼き直しで生み出された建築のような気がします.安藤さんはこのままで終わるはずがない!と,かつて光の教会で神の降臨を見た人間の一人としては思いたいところではあるのですが…….

丹下さんも昔は素晴らしい建築作ってたんですけどねぇ.030608|文京/聖カテドラルマリア大聖堂|Fujifilm FinePix 6800Z
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by nmurasak | 2005-01-16 09:21 | 建築/都市/デザイン
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