050117.mon. 関西(4)──阪神淡路大震災10周年
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早いものです.今日1月17日を以て,あの阪神淡路大震災発生から10年となります.震災当時,僕は高校生でした.実家のある三重県は震度4で,テレビの上に積み上げてあった文庫本が落ちた程度でした.すぐさまテレビをつけると,姫路と京都で震度5との速報.「神戸が出ません!」「神戸,震度6です!」とアナウンサー(たしか宮田さんという男の人だった)が連呼していたのをいまでも良く覚えています.

その後,ブラウン管(最近は液晶ディスプレイですか……)を通して阪神高速の倒壊現場や長田区の火災現場を見て,「これは大変なこっちゃ!」と思う一方で,なぜかしら妙にスッキリした感覚に襲われました.この感覚は2001年の米同時多発テロでも感じたこと.ちょうど部屋を片付けて大量にゴミを捨てるときや,折角組み上げたパズルをバラバラにしてしまう時の爽快感にも似ています.こういうのをカタルシスと言うのでしょうか.こんなの感じるの僕だけかなぁ?と思っていたら,周りに聞いてみるとどうもそうではなかったようです.

昨年,秋葉原のヤマギワで火災が発生しました.この時は係員の適切な誘導により死者は出なかったんですが,ちょっといかがかと思ったのは,テレビ画面に携帯電話のカメラを構えるヤジウマの姿が多数写り込んでいたこと.先日のドン・キホーテ火災では火災現場を背景に記念撮影する人の姿まで……どう考えても不謹慎だと思うのですが,僕がその場に居合わせたらそのような行動を絶対しないか?と問われれば,全く否定もできない,多かれ少なかれそういった好奇心のような性質は誰にでも生来備わっているものではないかと思います.

さらに映像という媒体の特性も絡んでくる気がします.どうやら映像という媒体は,必要以上に事実を客体化してしまうという特性があるようです.91年の湾岸戦争時にも同じような指摘がありました.「お茶の間戦争」「キレイな戦争」「ヴァーチャルな戦争」……形容はさまざまですが,イスラエルの都市,テルアビヴを襲うスカッドミサイルをパトリオットが迎撃するその映像には「死」の影はなく,それどころか「血」のカケラすら感じられませんでした.そんな映像で戦争のリアリティを訴えても全く意味ありません.まぁ,あれは「死」の事実を世界に見せたくないアメリカの策略なんですけど…….

震災も同時テロも同じことです.もちろんあれほどの事態であれば,人もたくさん死んでるんだ,大変なんだ!ということはアタマでは分かってはいるんです.しかし,映像というフィルタを通してしまえば,映画「インデペンデンス・デイ」の一コマとあの長田の火災は同じヴァーチャルなモノになってしまうんです.僕にとっては自然の威力よりも人間(自分も含め)の性質と映像表現の恐ろしさのようなものを感じさせられた出来事でした.

ポスト時間も震災10年に…….050106|Ricoh Caplio GX
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by nmurasak | 2005-01-17 05:46 | エブリデイズ
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